条坊制と朱雀大路

閑人或いは酔っ払いの囈語

あえて混乱を晒すという試み

 書きたいことを書こう。なんとなしにそういう気分になってブログの管理画面を開いてみたら突然アクセス数が増えていて、たじろぐ。とはいえ、頭がきちんとまわる状況ではないので、ノーダメージ。

 

 そんなことより、久しぶりに、Jpopよりもクラシック音楽のほうが聴きたい時期が訪れている。最近は、ヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」序曲だったり、Tritsch-Tratsch-Polkaだったり。なんて言いつつ、今聞いているのはラフマニノフのピアノ協奏曲なんですが。CD借りてきてデータは入れたし、ショスタコーヴィチも聴くようになるのかもね。チャイコフスキーハチャトゥリアンも、みんな大好きです。

 クラシック音楽を聴いていると、美しい景色を見ているときのように、日常のすべてがどうでもよくなる。ひょっとすれば些細なことに熱中して余計な労力を費やしていたんじゃないかと思う。

 

 このなかで生きていれば美しいのに。世界は美しいままでいられるのに。頭のなかでどうにかうまく生きていければ。それ以上のことはないと思わない?

外部世界のなにとも関わらなければそれでいい気がする。もしかしたら生きるために必要最低限関わらなくてはならないし、おそらく充実度は足りない。それでも、基本はやっぱり関わりたくない。引き篭もりなんだ。ニートなんだ。いや、NEETを「Not in Education, Employment or Training」と捉えるなら、学生(in Education)である自分はニートではないのだが。

 

 

だから、僕らは死を待っている。長生きしようとか、のたまるわけがないんだ。

ただいま日が沈んで。これまで以上の光が僕たちを包んでくれていて。

聴こえていますか。そういう生き方ができてますか。

僕は、どうすればいいですか。

静かに静かに、言葉にならないものいにいのちを与えていけますか。

これは、宗教なのか?そうではない。宗教ではなくて、そうではなくて、ただひとつひとつのことをきちんちやっていくだけ。遊んでみただけだし。

 

 

創ろう。すべての領域において自分

 

 

                          

 

 

【後日談】

最後なに言ってるかわかんないし、こっわ笑