条坊制と朱雀大路

閑人或いは酔っ払いの囈語

貴重なファーストデーになにを観ます?

 ロッシーニの音楽が頭のなかに広がる。ふわぁっと。いや、実際にはイヤホンで聴いているわけだけど、酔っ払っているのか、不思議なことに、頭全体がロッシーニの音楽で包まれている感覚。んー、でも、『セヴィリアの理髪師』序曲はダメかなぁ。曲は良いんですよ、もちろん素晴らしい。けれども、酔った状態で頭にどう作用するかで言ったら、あまり良くない。

 『泥棒かささぎ』序曲は頭のなかからどんどん兵隊さんが出ていってしまう感じ。わかる?行進して、出でっちゃうんだよ。もう二度と戻らないと決めたわけではないけれども、もう二度と戻れないかもしれないとは思っている。兵隊さんが。

 

 いまお友達と相談してみているのだけど、あまり状況は良くないのかもしれない。この曲を聴くと、どうしても思い出してしまう。『時計じかけのオレンジ』を。あの名作映画を。どうしようもなく好きで、リメイクするなら演じてみたいとさえ思った圧倒的な作品。こういう酔い方できる奴が適任なんじゃねぇかと思うんだよな。まあコンプライアンス的に内容精査していかなきゃいけないものなんだろうけど。

 

 関係ないけど、さっきベッドのシーツ類をほぼ全部捨てた。なんかもう違う。無理。関わることができない。トラウマとトラウマとトラウマの蓄積。

 いつもこうしてすべてを捨てたくなる。家族と一緒に暮らせないほど病的に神経質な奴だから、いらんことで無茶苦茶になる。「普通」に「生活」できているように装ってはいるけれども、正直ただのポンコツ

 ときどきありません?もうこんな拷問勘弁してくれ、いっそのこと殺してくれ、と思うことが。生きるというのはそういうことだから。「普通」を装うというのはそういうことだから。気が狂いそうで狂いそうで、もういっそ狂ってしまえばいいのに、と思う弱い心。誰だって弱くなるよな、そんな状況。

 

 もう誰に向けてなにを言いたいのかがわからないんで、さようなら。来世はやだな。今世ですべてが終わってほしい。